手紙とは不在を示すもの

社会情勢を鑑みてしばしの休業宣言を世に告げて、店の片付けと食材の整理をしていた営業最終日。3月30日(月)のことだった。ポストの底に小さな茶色い小包が届いていた。
ポストカードよりちょっと大きめなサイズだったから、きっと誰か知り合い筋のアーティストの方の展示の案内か何かだろうと思って、こんな時期に、タイミング悪くかわいそうに。と思って、机の上にぽんと置いておいた。
片付けがひと通り終わって、当然今日は店なんて暇だから、小包の封を切った。そこには、モノクロームの写真と、余白と、余白と……日本語の詩とも言葉の断片ともつかない散文調の“なにか”と、そしてまた余白と、目をこらしても見えないくらい小さな級数のページ数とも記号ともつかないノンブル的な“なにか”が記された、一冊の本が入っていた。
一見するとシュールレアリスムの書物のようなのだが、さらに奇妙なことに、著者名もタイトルも版元も、奥付も、ない。
そして、表紙の四隅に入れられたスリットに一枚のポストカードが挟み込まれていて、そこには差出人からの手書きのメッセージがあった。
昨年の初秋10月に「Kirin Diary vol.6」の旅企画「夢幻の香川。」の取材のために訪れた、香川県の粟島(あわしま)。小包は瀬戸内芸術祭の会期でもなければめったに誰も訪れることもないであろう小さな島の港で出会った、ある女性からだった。
といっても、差出人の名前も、そして住所も書かれていなかった。
そうだった。夕暮れ時の港で本土に帰る船を待っていたら、彼女がたまたま列の直前に並んでいたから、その風景写真の中に入ってもらったんだった。
船が本土の小さな港に着いて、薄暗くなった詫間駅のホームで、自分の名刺と持っていた「Kirin Diary」のバックナンバーの最後の一冊を彼女に渡して、そして別れた。
連絡先も聞かなかったから、こちらは彼女の名前も知らなければ、片言交わした会話の中で知り得た、関西のある場所から一人でやって来たということ以外に住んでいるところも知らない。
彼女直筆のポストカードには、極度な人見知りであることを詫び、「物語を閉まいこんでいる私にとって、本を作っている人に出あえたことは幸いでした」と綴ってあった。
なぜ、彼女は瀬戸内の旅から半年近くも経って、この本を送ってきたのだろう。不穏な世相に、不安になったのだろうか。それとも、思うように旅に出かけられない状況に、過去の旅を振り返っていたのだろうか。
そんなことを考えてもみたけれど、それは勝手な思い過ごしかもしれない。タイミングは、あまり意味のないことなのかもしれない。
「手紙とはわたしの不在を示すもの。わたしはそこにはいない。あなたの見ている星のように、もうすでにいないものとして、あなたが見るもの。その暗がりであなたが見つめたひとつの星に、瞳越しにカメラがあまりに近づいてスクリーンを真っ白くする。そうしてかえってきた光りそのもの。」(「ユレイーへ」で始まる名もなき一冊の本
物語の続きは、次号「Kirin Diary vol.7」にて。空想旅行の旅に出ます。
以下私信。
いただいた本のお礼に一冊の本をお贈りしたいので、このサイトをもし目にすることがあったなら、ご連絡をお待ちしています。
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